2019.12.

「なぜ?」


 大学の「自立力育成ゼミ」という授業の海外研修で、韓国に出かけた。受講生の一人一人が自分 の研修課題を設定し、現地で調査や観察を行う。初めての試みで、中高校生の修学旅行とは異なり どこまで自立して行動してもらうのか、いろいろに考えた。岡山発着便が、韓国からの利用者の激 減で直前キャンセルとなり、メディアの報道でもまだまだ現地の日本バッシングの模様がリアルに 伝えられたりもしていたので、いささか不安だった。

 けれど、空港から列車に乗るなり、私は座っている男性から「あなた、ここに座りなさい」と明 らかに高齢者へのいたわりのまなざしで席を譲られ、バス停で待っていると、学生たちは「よく来 たね。私は日本が嫌いじゃないよ」と声をかけられた。また、翌日雨模様の中「西大門刑務所歴史 博物館」を訪ねると、日本人がこんなところを見学に来るのか、感心だなと驚いた表情で迎え入れ られた。さて思っていたより温和な迎え入れをされながらも、コスメやグルメ、韓国スターに心が 傾いていた学生たちにとって、歴史館の見学は実に生々しい現代史を突き付けられ衝撃的な経験と なったようだ。特に、その日クラスで館に見学に来て、日本にどんなひどいことをされたかを実に 熱く担任の先生から説明された小学生たちに取り囲まれ「なぜお姉ちゃんたちの国は、僕たちの国 にこんなひどいことをしたの?」と、率直に尋ねられた時は、何も答えられず、絶句していた。引 率してきていた小学校の先生は、うなずきながら子どもたちと同じ視線で学生たちを見つめていた。

 その日の夜の反省会で、学生たちは小学生の問いへの答えが見つけられない自分を抱えあぐねて いた。今まで国内で資格取得のため、就職のためにとまじめに勉強を続けている間、「私が何者であ るか」の問いは完全に自分の外に追いやっていたことに気づかないわけにはいかなかったようだ。 そして、他国の子どもにいきなり「日本人のお姉ちゃん」として問いただされ、どう答えてよいか わからず動揺したと告白した。日本の学校教育における近現代史の学びの薄さは大きな問題だが、 小学生を連れてこうした場所を訪れる韓国の先生の根幹にあるのは「恨の教育」であって、「平和教 育」ではないように感じられたことももうひとつの問題であるように思う。将来小学校教員を目指 す学生の一人が、日本に帰国する前になって、スーツケースを押しながらつぶやいた。

 「あの小学生たちへの回答は、たぶん『ごめんなさい』ではなかったような気がします。 まだまだしっかり勉強しなければ正しい答えかどうかわからないけれど、日本人が悪かったのでな く、力を持ってしまった人間の怖さなんじゃないか。だから、力を持ってしまったら、なんどでも、 立場が変わっても同じことが繰り返されるかもしれない。だからいっしょにそんな風にならないよ うにしっかり考え続けてなくちゃいけないって、そう伝えなくちゃいけなかったんじゃないかな。 責任がないとはもう言い切れない一人の人間として。」

 学生の表情は出発前よりも確実に思慮深くなっていた。難しい問題だと避けて通らずに、 出会った子どもたちの声も決して忘れずに、そして後ろに下がらずいっしょに進む道を、地球人と して探していってほしい。ちなみに、このゼミのテーマは「私という窓から世界を見る」だった。 ひとりずつの窓が少し厳しい風に吹かれより磨かれていくことを祈っている。

   




村中李衣


















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