2018.12.

「今日の君におめでとう」


 いよいよ2018年も終わりが近づいた。しみじみした思いで、新幹線に乗り込む。毎週末のお約束、17時51分発岡山発新山口行のぞみ列車。

 通路を挟んだ隣の座席には、2歳くらいの男の子とお母さんが座った。眉毛がぐっと太くてくちびるの分厚い、やんちゃ坊主な雰囲気の男の子。お母さんはなかなかのお洒落さんで、息子にも自分とおそろいのラルフローレンのダウンジャケットを着せて、スマホに夢中。さて、新幹線が走り出すと、やんちゃくんは、お母さんの膝の上によじ登ったり、ずり降りたり、壁を叩いてみたり、飽きることなく探索を続けながら、たびたび「あっ」と驚きの声をあげる。そのたび、「ん?なに?」とついつい、目がそっちに向いてしまう。墨書き文字の焼酎のポスターを指差し「あっ!」。イスの横の黒ボタンを指差して「あっ!」。窓の外の流れる風景に「あっ!」。

 坊やの驚きと発見の自由旅は、新山口までずっと続いた。時折彼は、彼にしかわからない早口の専門 語を連発した。その一文は、結構長い。「あーちゃ、ぱんまんに、ちゅーらいで、ちんかんちぇん、くっ とくきててね、あじゃちゃも、じーちゃも、くでどぅだもん、ねーだ」「あっ!」「ちいーた、ちぇるわって、ちんかんちぇん、しゃーして、うっちゅ、ちぇてもいいよ?」「あっ!」「あっ!」う?ん、未知の言語世界。時折はさまれる「ちんかんちぇん」のワンフレーズだけは聞き取れるもんだから、目が離せないよぉ。でも、お母さんは終始「うんうん」とうなずくだけ。それを気にする様子もなく、彼のおしゃべりは続く続く。

 やがておしゃべりとひとり旅に疲れたのか、坊やは、お母さんの膝に頭を預けて眠りかけた。と思ったら、車内アナウンスが入り「次の停車駅は新山口ぃ?」とアナウンス。

 「起きて!起きて!降りるよ」とお母さんが膝の上の息子を揺り起こした。

 目をこすりながら顔をあげた坊や、ぐずりもせずに、おとなしく靴を履かされ、宙を彷徨うような顔で足を地面に下ろした。そのままふらふらぁっと一歩、二歩。おっとアブナイ、慌てて彼を支えようと立ち上がった私の目の前で、坊やはよろけ、べたんとしりもちをついた。彼は大きな目玉を見開いて、動かない。次の瞬間、はっきりした声で「ちんかんちぇん、つおい」と言った。

 え?え?いまなんとおっしゃいました?私の衝撃の横でお母さんが「待ってくれないからよ」と男の子の手を掴んで床から引き上げた。彼はお母さんに繋がれたまま、「ちんかんちぇん、つおい」「ちんかんちぇん、つおい」と小さい声で繰り返した。

 おお、幼い彼にとって、これは、ひとりでうっかりこけたのではなく、新幹線という圧倒的絶対的他者に打ち負かされた瞬間だったのか。自分がどうしたこうしたではなく、自分が対峙した世界を丸ごと 受けとめた類まれな経験、それが「つおい」という言葉に結びついたのだろう。それまで自分の外にあった言葉とふいに出会う、そのことの積み重ねで自分ものがたりが紡がれていく。 おめでとう、おめでとう、今日も君におめでとう、と気の早いことばが口を突いて出た。

 


村中李衣


















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