2018.10.

「この世はごちそう」


 毎朝走っている。この五年間、岡山では駅と大学とアパートの3点を結ぶ小さな場所だけで生きてき たので、ただ走り見つける街の風景は、風といっしょにすう?っとからだに浸みこんでくる。

  こんなとこに写真館が。あ、この焼肉屋さんおいしそう。あれ、この家夜じゅう庭に堂々洗濯物を干 してるんだな・・・毎日発見がある。よそ者気分で過ごしていた街が旧知の街に変わっていく。中でも 私の心をぐいと引き寄せたのが、神社の長い長い石段のてっぺん、本堂の前でじいちゃんばあちゃんた ちが繰り広げる朝のおつとめ、ラジオ体操だ。

 耳の遠いじいちゃんばあちゃんたちだから、携帯ラジオのボリュームは MAX。石段の下にいてもよおく 聞こえる。ラジオ体操は6時半に始まるが、ラジオの声もみんなの声も 大音量で6時にはもうあたりに響きわたっている。 長い長い石段を私はひいこらあえぎながら上るのに、彼らはとっくの昔にてっぺんにたどり着き、平 気の平左で喋り合い、膝を叩いて笑い合っている。中でも孫の青いジャージで現れるじいちゃんは特別 にぎやかだ。体操が始まっても、ず?っと隣の人に喋り続ける。 ある時は、金に困ってメザシを買ったら5尾でたったの198円だったという話。そりゃあええ買い もんをしたなぁ?。どこでそんなええ買いもんをしたんなぁ〜とみんなの体操などそっちのけで盛り上 がる。

 またある時は、連れ合いが病気であまり飯を食いたがらんので、わしがひとりでおんなじもんを何日 も食わにゃならんと言う話。昨日の朝も昼も夜も今朝もカレーを食うたと愚痴れば、やっぱりチンする カレーよりは鍋でこさえた方が格段うめえもんなぁ?と、またまた体操そっちのけで盛り上がる。

 神社の本堂前を占拠した老人たちは、食欲を武器に、しわしわの体から縦横無尽のエネルギーを絞り 出している。すごい。圧倒されっぱなしだ。

 ところが、今日は様子が違った。ジャージじいちゃんの聞き役だったおじいさんふたりが、来ていな い。「なんじゃあふたりとも。風邪なんか引いとる場合じゃねえが。年甲斐もなくだんじりなんぞに手を 出すからじゃ」と、じいちゃんは、ひとりでぶつぶつ。そして、体操のあいだじゅう,無言でおとなし くふらんふらんと手足を動かしていた。そして、いよいよ最後の深呼吸が終わり、ラジオの中から「そ れではみなさん、またあした。お元気で」とさわやかな声が聴こえた直後、ジャージじいちゃんが空に 胸を張り叫んだ。「ここまで生きりゃぁ、毎日がごっそうじゃぁ」。いつもならすぐに相槌を打つ二人が いないので、一瞬間があく。ジャージじいちゃんは、曲がっていた腰をまるで応援団長のように反り返 らせ、もう一度叫んだ。「毎日がごちそうじゃあ〜〜〜。宴会じゃぁ〜〜〜〜」。

 じいちゃんの枯らした声の切れ切れが空に吸われていく。あぁ、老人の友情って、こういうものなの かもしれないな。生きてることそのものが、丸儲けの大ごちそう。そう思えるのも友あればこそなんだ と、教わった朝。

  私もしばらくあってない M さんに、手紙でも書こうかな。

 


村中李衣


















一つ前のページに戻る TOPに戻る