2017.2.

「ちいさいコンサート」


 コンサートをやるんで、ちょっと絵本を読んでもらえないかしら?と音楽の先生から昨年末に話があ った。なんにも考えずに、はいほいと引き受けた。コンサートの1か月前、楽譜が届いた。楽譜の表に 「モチモチの木」とあった。へええ、「モチモチの木」に合わせた楽曲があるんだ、と思った。パラパラ とめくってみる。あっちこっちそっちに黒く激しく複雑にのたうつ音符、これじゃぁどういう曲なんか さっぱりわからんわからん。まあいいや、私は、絵本を読めばいいんやし、なんとかなるやろ・・・と、 楽譜を閉じた。けどちょっと待てよ・・・もいちど、恐る恐る楽譜を開いた。よく見ると、チェロのパ ート、ピアノのパート、の上に narra の文字。そして、複雑極まりない一枚目の楽譜には narra の部分 に斜線がひいてあるものの、二枚目まん中あたりから突然「まめたほど おくびょうなやつは いない。」 と、言葉が記してあるではないか。しかも、言葉は、1小節ごとに区切ってある。しかもしかも、「えだ をわああっとひろげ」の、「わ」の字に丸がついて、その「わ」とチェロやピアノの楽譜の音符との1対 1対応が矢印で記してある! なんだこれ、なんだこれ、私ってもしかしたら、このnarraのパートを 受け持つわけ? ようやく、narraとは、ナレーションのことで、私がコンサートで絵本を読むというこ とは、楽曲のナレーションパートを引き受けるということだったのだと理解した。それからが地獄の苦 しみ。いったいどういう曲なのか、その曲のどの部分で声を出せばいいのか。たまたま隣町に住む作曲 家の田村洋さんに「お願い、どんな曲なのか教えて」と泣きついた。

 田村さんは楽譜をめくりながら「こりゃ、りえちゃんには向いてないねえ、りえちゃんの自由な読み は、演奏のパートとしては無理だろ」とさらり。向いてなくても引き受けちゃったんだもの、どうすり ゃいいのか、声を出す部分の入り方だけ、なんでもいいから教えてよ、とはさすがに言い出せなかった。 眠れない胃が痛くなるような日々を過ごし、たった一度だけの予行練習。この日初めて明かされる曲の 全貌を必死の思いでスマホに録音した。それを家で聴き直し、指で楽譜の一小節ずつと対応させながら 自分の声を入れる場所を暗記するしかないと覚悟したのだ。ところがやったこともないスマホでの録音。 焦りすぎて、いざ家で聴き直すと曲の半分しか入ってない。こりゃだめだ。どうか当日大嵐となります ように!

 ところが、当日絶望の楽譜を抱えて会場に入ると、そこにいたのは二?三歳児と親の腕に抱かれた赤 ちゃんたち。生まれたてのちいさなあぶくのような呼吸で、空気がやわらいでいる。この子たちが動く と、息のあぶくで、さざなみがたつ。こんな小さい人たち向けのコンサートだったのかぁ。ふわわと身 体の緊張がほどけていった。楽譜と格闘しているあいだじゅうすっかり忘れていた「モチモチの木」の 絵本が、すっと丸ごと私の中に戻ってきた。

 演奏が始まった。ピアノの音が、チェロの音が、会場の空気の中を「音のつぶ」になって、子どもた ちのところに流れていく。空気が震える。その空気の震えが、子どもたちの息のつぶつぶのあいだにす べりこみ、波になってゆらぎを起こす。それを子どもたちが受け取る。音楽って、演奏している人とそ れを受けとる人の間に起こるつぶつぶの揺らぎあいなんだ。

 もうわたしも「一小節ごとの一対一対応」なんてすっかり忘れ、いつのまにか声のつぶつぶの運び屋 になっていた。やれやれ、ものすごい体験でした。みなさん、お騒がせしました!


村中李衣















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