2016.10.

「ばいばーい」


 岡山のアパートは、大学から歩いて15分くらいのところにある。前にも書かせてもらった 不愛想商店街を通り抜けると、あとは、しずかなしずかな木造建ての家々が並ぶ。

 あぁ今日はえらく仕事が立て込んでたなぁ〜とか、実習でへこたれてた学生たち、もう少し ゆっくり話を聞いてあげた方がよかったのかなぁ、とか、いろんなことを思いながら、歩いて 帰る。

 道路わきの小さな畑で、実りが遅れたトマトが、ぷらんと頭を垂れている。その横で、真っ 赤っかなケイトウが、開きすぎた頭をかすかな風に揺らしている。

 みんな、ごくろうさん。畑を過ぎて自分のアパートの方へ心が向いたその瞬間、右側から、 「ばいばーい」というかわいらしい声がした。ん?ん?だれ?声の主を探すと、道路わきのちいさなおうちの開いた窓の奥のブラインドが小さな手で押し 開かれ、そこからまんまるい目がのぞいている。わたしに挨拶してくれてたのね。暗い道の真 ん中に立ちどまり、わたしも、ばいば?い、と挨拶を返した。ところが、ブラインドの間から 覗くまんまるいひとみは、私の声にちっとも反応する気配なし。そしてまた、ばいば?い。ば いば?い。

 小さな男の子のひとみは、私を素通りして、高く、空に向けられていた。 ああ、秋の初めのお月様さまがいる。 男の子の澄んだ声は、なおも空に向けて、ばいばーいと繰り返される。 この幼い魂が捉えた一日の終わりの「お別れ」。 そこには、世界を自分の懐に入れたおおらかさと、去られることを恐れない潔さがあるようで、なんだか胸がきゅうんとなった。 そういえば、アーノルド・ローベルの「ふくろうくん」も、どこまでもついてくるお月様に大声できっぱりと、「さよなら」って言ってたっけ。そうして、さよならって言えるお月様を 「なんていいともだちなんだ」って言ってたっけ。

 わたしもちょっと、秋の空の向こうにいる自分の友だち、探したくなっちゃった。 お?い、まさこちゃん、元気でいるよね。今夜は、ばいば?い。 お?い、かっちゃん、元気でいるかい。今夜は、ばいば〜い。


村中李衣







ふくろうくん

アーノルド・ローベル 作
三木卓 訳
文化出版局
854円(税別)













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