2015.12.

「あなたの声に生きるよろこび」


 毎年12月が近づくと、いよいよだなと、心ひそかに楽しみにしていることがある。

 下関カモンFMで、こどもの広場主催の横山真佐子さんとふたり、「クリスマス朗読劇」を行うことだ。

 楽しみにしているくせに、まったく打ち合わせも練習もなしで、いつもぶっつけ本番。
これ、タカをくくっているわけでも自信過剰なわけでもない。
単純にふたりいっしょに打ち合わせをする時間がないのである。
一応「どうするどうする? ねぇ、今年はなんにする?」と、本番までに四、五回は、電話で動揺を伝えあうのだが、結局ずるずると録音当日を迎える。

 こんな付け焼刃じゃ、いつか痛い目にあうよね私たち、と録音終了した真夜中のラジオ局ロビーで毎年猛反省をする。
そのいつかが、今年ついにやってきた。

 横山さん、まったくの声枯れ状態。
か細い小枝状の息がしゅびしゅび〜と漏れ出るだけ。
でも、今更新たなスケジュール調整は不可能。
仕方なく「いいよ、任せて!声は私が出すわ。元気になってから、一番最後のコメントだけ入れて」と言い放った。
ともだちだもん、がんばるよ、とわたし。
しゅびしゅびひ〜〜と、横山さん。

 さて、録音ブースに入り、マイクの前に。
いつもは横山さんと向かい合って、一つのマイクを分かち合うのだが、きょうは、自分だけ。
選んだテキストもいつもならふたりで、音がしないように、こっそり分かち合うのだが、今日は、自分だけ。
「じゃぁ、一回練習してみますか?」のためし録りも、今日はなし。
だって、お互いの読みのおかしさに噴出したり、突っ込みを入れたりすることないんだから。
自分だけなんだから。

 そうして気づいた。
わたしたちふたりがひとつの作品を読みあうのは、出来上がった作品世界を上手に表現することのためでなく、ふたりで今この瞬間を生きあう喜びを、ものがたりの力を借りて味わうためだったんだ。
そうして、その喜びを<ふたり>からラジオを聴いてくれている<みんな>に広げて分かち合いたかったんだ。

 安房直子作品のひとり読みはぽつんとさびしかった・・・はずなんだけれど、そこは、転んでもミミズとお話ししてなかなか起きてこない横山さん!
いきなりクマのおじさん役を引き受けて「しゅびしゅびひひ〜〜」。
さすがの安房直子さんも、寒い木枯らしの夜に登場する光のストーブを売るおじさんグマが、こんな声でお客を出迎えるとは思いもしなかっただろう。

 でも、この枯れ枝吐息が吹きかけられたことで、さみしいひとり読みが生き返った。
あなたの声と交わりあなたの声といっしょに世界を生きることがこんなにも私を豊かにさせる。

 2015年でいちばんうれしい贈り物をもらった気がした。

 来年はまた、いやいや来年こそはちゃんと、ふたりでみんなに贈り物ができますように。



村中李衣















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