2014.11.

「どっこい、ジャガイモは生きていた」


 わが家が、とてつもなく広い果樹園を購入したことは前にお話しましたっけ?

 今年はぶどうの袋かけをはじめ、細かな手入れをする時間がなくて、果樹の方はさっぱりだったが、その分、余っている土地を畑にして作った野菜はいっぱい収穫できた。
春の初めから、夏、秋にかけて、サツマイモ、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンニク、ブロッコリー、カリフラワー、インゲンマメ、モロッコ、キュウリ、ナスビ、オクラ、トウガン、カボチャ、シシトウ、スイカ、キャベツ、トウモロコシ、ピーマン・・・
今年は岡山と山口を行ったり来たりで、スーパーに行く時間もなかなかとれない毎日だったから、これらの野菜たちに本当に世話になった。

「特にジャガイモは、ありがたかったねぇ。1月から今日まで、ジャガイモ料理はすべてウチので賄えたね」としみじみつぶやいたら、
「あぁ、ジャガイモならてっぺんの畑に、またできてるよ」とトラさん。

 てっぺんの畑とは、文字通り、山の斜面にまで続く土地のいちばん上の場所にトラさんが作った畑のことだ。
軟弱な私は行き着くまでにくたびれる。

 え? 今頃なんで? と思いながらうんしょうんしょと行ってみた。

 すると、あらら、畝の端っこの方に、しなびたジャガイモの茎らしきものが、枯れ草の間からのぞいている。
手入れもなんにもしていない私がこんな言い方するのは失礼だけれど、霜に打たれて、ふにゃひょろのしょぼい茎たちばっかりだ。
葉っぱも言い訳程度にしかついておらず、腐りかけているものもある。
無理もない。
彼らは、収穫時、不良品と判断されて、トラさんにポイポイされたものたちで、その後ひとりで畑の土の中に潜り込み、時を待ち、自力で芽吹き、再び茎を伸ばしたのだから。

 よくまぁイノシシたちにもやられずここまできたねぇ、と感心しながら試しに土を掘り返してみると、あらららららら、で〜っかいジャガイモがごろんとでてきたではないか。
地表に出ている細い茎からは想像もつかないりっぱなでっかいジャガイモ!
気をよくした私は、次々にへなちょこ茎の下を掘り返していった。
へなちょこの中でも比較的見栄えのいい大きいへなちょこが数本あったので、つい期待してしまう。
ふっふっふ。
あんなちびっちょろいへなちょこでもどでかいジャガイモをつくってたんだから、こいつはさぞかしすごいのができてるんじゃないか?

 ところが、そうではなかった。
よく目を凝らさなければ、枯れ草にうもれて気づかないほどちっぽけな細い茎の下ほど、りっぱなジャガイモが敗者復活戦を勝ち上がってきていた。

「こりゃだめだ」と人間(トラさんだけど)に判断され放り出されても、自分の力でできることをできる限りやる。
そうした<いのちの使命>が、ジャガイモの中に詰まっているのだなぁと思った。
それに引き換え、人間の私はどうだ。
他者の評価に煩わされることなく、<いのちの使命>を全うしているか?
本当に恥ずかしくなった。

 人間以外の営みに驚かされること・教えられることが実に多い。
歳のせいか?



村中李衣













一つ前のページに戻る TOPに戻る