2014.03.

「ちいさいおひっこし」


 24年間勤めた大学をこの春卒業することになりました。
 あれこれどれどれ、いろんなことがありましたが、それでも、希望の光が決して消えずにあったことは、ほんとうに幸福なことでした。
妥協の塊のようなわたしのふるまいに
「きみはいったいどういうつもりなんだ!」と、所構わず怒鳴りつけてくれる、信頼できる同僚もいたし、
「まぁ、お茶でも飲んで」と力みをほぐしてくれる心地よい逃げ場所もありました。

 さて、そんな感傷的な気分をうち払うように、研究室の引っ越し、家の引っ越しと過酷な作業が続きました。
本・本・本。
いったいどうするの、この本たち。

 とりわけ絵本の扱いには、参りました。

 もう読まないとか、もう主張が古い、というような一般書の基準があてはまらないじゃありませんか。
1冊引っ張り出すごとに、つい開いて読んでしまう。
で、十分に楽しい。

 どんな時にどんな思いでページを開いたかが、鮮やかによみがえってきます。

 絵本を捨てるには、いったいどうしたらいいんでしょうか?

 結局、目の前に小さい読者の具体的な顔が思い浮かぶ絵本だけは、「もらってね」と譲ることができましたが、あとの絵本はみいんな私についてくることに。

 すると、「あのね」と友人が声をかけてきました。
息子が小さいときにずいぶんたくさん絵本を読みあって楽しんできたけれど、もうその時期も卒業。
思い出のいっぱい詰まった絵本たち、捨てるわけにはいかないので、りえさん、一緒に連れて行って…と。

 わかるわかるよ、その気持ち。
というわけで、さらに荷物は増えていったのです。

 スキャンして全部データ化してしまえば?とアドバイスしてくれた友人たちもいますが、やっぱり、この重くてかさばり、いとおしくてたまらない絵本たちをそのままに感じ続けていこうと思います。

 それにしても、ありとあらゆる家財道具を機能的に納めるボックスを備える引っ越し業者さんでも、絵本のパッキングだけは、そうそうぴったんこにはできないようです。
「きっちり入れると重すぎますから」と、箱の半分くらいで蓋を閉められます。

 目的地に届けられるまでの数週間、あの隙間いっぱいの箱の中で、新しい旅の夢を絵本たちはどんなふうに語り合っているのでしょうか。


 *これからも、愛すべきこどもの広場へはちょくちょく顔を出します!
  変わらずよろしくお願いします。



村中李衣













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