2013.04.

「なまえを生きる」


 新しい季節。
4月はじめに出かけた大阪での出来事。
ホテルの朝食会場に、母親と小学3生くらいの男の子と3歳くらいの女の子がやってきた。
お兄ちゃんはまだ春休み中のようで、トレーナーにジーパン姿で身軽そうだが、妹の方はぴっかぴかの制服。
そうか、入園間もないのねオメデトと、目を細める私。
そんな私の前を、妹がぴりりと背筋を伸ばして「き〜ぐみさん♪ き〜ぐみさん♪ きょ〜からわたしはき〜ぐみさん♪」と行進していった。
おお、きいぐみさんかぁオメデトオメデト。

 自分たちの席に着いた親子。
母親が「みさきちゃん、フリードリンクだってよ。なに飲む?」
みさきちゃんは、しら〜んぷり。
「みさきちゃん、バナナジュースもあるよ。スープもあるよ。ねぇ、どうする?」
やっぱりみさきちゃんは返事をしない。
ここにわたしはいませんという様子で、目を閉じている。

 おにいちゃんが、おかあさんを手招きして小さい声で何かつぶやいた。
うなずくおかあさん。
やがて、きれいな声でこういった。
「きいぐみさん、なにを飲みますか?」

 女の子がパッと目を開き「オレンジジュース!」

 きっと新しい園の教室で先生に教わったのだろう。
「今日からみなさんは黄組さんです」。
今日から私は黄組さん。
もう「みさきちゃん」なんかじゃない…
なんて誇らしい名前の引き受けだろう。

 そういえば私も小さいころ自分のことを「ひさこちゃんはね〜」と呼んでいたら、「もう赤ちゃんじゃないんだから自分のことは『わたし』って呼ぶのよ」と誰かに言われた。
でも、相変わらずみんなは私を「ひさこちゃん」とか「あなた」と呼ぶ。
私を「わたし」と呼ぶ人なんか誰もいない。
すっかり混乱した私は、「ひさこちゃん」をやめて「あなた」と自分のことを呼ぶようにした。
そしたら、またまた「ちがう、あなたは自分を『わたし』って呼ばなきゃだめよ」。
この時の、みんなの中に入れてもらえない「わたし」ということばの孤独を私は今も身体でしんしんと覚えている。
ところがある日、近所の散髪屋のおばちゃんがなぜか『シンデレラ』の絵本を読んでくれたあとで、「世界中でひさこちゃんのことを『わたし』って呼んであげられるのはひさこちゃんだけなのよ」と抱きしめてくれた。

 そののち、ぺらんぺらんのぼろっぼろになるまで愛して読んだ散髪屋の『シンデレラ』の絵本とおばちゃんのことばは、ことばを引き受けて生きる営みの根っこのところで、ずうっと枯れずにいる。




『シンデレラ』
マーシャ・ブラウン/文・絵
まつのまさこ/訳
福音館書店/1260円




『わたし』
谷川俊太郎/文
長新太/絵
福音館書店/945円


村中李衣













一つ前のページに戻る TOPに戻る