2011.06.

「うまいっ」


 今、新しい作品を書いている。
子ども達に楽しんでもらえる芝居をめざして日夜格闘している劇団とその劇団の中にある保育所の物語。
書くと決めたはいいけれど、どうも肝心の舞台のシーンがウソ臭い。
子ども向けの芝居は何度か観に行ったことがあるけれど、その空間全体を意識して捉えた事がなかったので、なんとなく頭で描いた空々しさがぬぐえないのだ。
意を決して、作品のモデルになった女優さんが所属する東京の劇団を訪ね、いくつかの舞台の記録を見せてもらった。
記録の中に、たった二人で演じる「北風と太陽」のお芝居があった。
ひとりが語りを進めながら扇風機みたいなので風を送り、もうひとりが旅人の役をしながら、その風を受けてビュービュー吹き飛ばされそうになる帽子やはためくコートの襟を必死に押さえて前に進もうとする。
ちっぽけな中古扇風機の風は、実際にはひゅい〜んともしゅい〜んともつかない微風。
でも、お芝居の中では、舞台の上の旅人を一歩も前へ進ませないほどの勢いを見せつけてくれた。

 その様子に、思わず席から立ち上がったひとりの観客(年中組の男の子)が旅人に向かって、「うまい!」

 すると、会場のあっちからもこっちからも「うまい」「うまい」と声が上がった。

 彼らの「うまい」は、大人が演技を評して使う「うまい」とは、全く違っていた。
「あの役者なかなかうまいねぇ」の「うまい」じゃなくて、「すごい! 今、たった今、ぼくには本物の風がみえたぞ!」というナマの興奮。

 「うまい!」の客は、そのひとことの後、もう完全に舞台に心を持って行かれた感じで、旅人といっしょにからだをよけたり、空をみあげたり。
極めつけは、太陽にあたためられた旅人が、服を脱ぎ小川の水を帽子で掬い上げておいしそうに飲むところ。
子ども達には透明な水が旅人の喉に気持ち良く流れ込んでいくところがはっきりとみえたようだ。
「うぁ、あぁ〜」とあちこちからうっとりした声。
その様子に気づいた旅人が、帽子で小川の水をもうひと掬いして、子どもたちの頭の上に注いだ。
「ひゃぁ〜! つめたい!」と子どもたちの大歓声。
彼らは見えない水を全身に浴び、その冷たさを心ゆくまで楽しんでいた。

 子どもは「うそっこの世界」を本気で生きることができる。
芝居や絵本や童話の世界で描かれているのは本当のことじゃなく、観たり読んだりしている間でだけ起こっていることなんだとちゃんと承知した上で、そのお話の中で本物と出会うことができる。
だから、雲にも風にも旅人にも心を寄せ、雲にも風にも旅人にもなれるんだ。

 いいなぁ、子どもたちといっしょに、もうひとつの世界を旅できる俳優さんたちって。
と、待てよ、いいなぁ〜なんて言ってる場合じゃないんだった!
表紙扉をめくった瞬間から、子ども達が本気で主人公たちと向き合ってくれるように、それこそ「うまい!」の作品に仕上げたいと、いつになくまじめに自分に言い聞かせた私です。


村中李衣













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