2018.3.

「生きる」

 庭にある小さな物置の床下に数年前から、ミツバチが巣を作っています。寒い間はもうみんないなく なったのかと思ったほど出入りがなかったのに、ちょっと気温が上がった日、入り口に数匹のミツバチ! 生きていたんだ。まだ花のあるものもそんなにないこの住宅地でどうするのか?咲いたばかりの小さな オオイヌノフグリやフキノトウの花を探してホバリングしています。長い冬の間生き延び、季節が変わ るのを待ち、少し暖かくなれば忙しく働き始める。自然界で生きることの厳しさと力を感じましたが、 私たちはそれだけでは生きられません。

 母がお世話になっている施設でもインフルエンザが流行り、感染を防ぐために用心されていた数週間 が過ぎ、ようやくみんな完治。ホッとした暖かさが院内にも戻った先日、母が自分のベットから見える 外の景色をじっと見て急に嬉しそうに「あそこにトリがキレイね?」冬枯れの草や、まだ枝だけの低木 の藪の中に鳥がいるのかと目をこらすけど見えず。「どこ?どこ?」と聞く私に細い指で指してくれたの は、少しの風で揺れる木の枝の間から見える青空。自分では自由に動けなくなっていても、訪ねていっ た私が誰かはほとんど分からなくても、物の名前もわからなくなっても、明るい日差しの中で細い木の 枝が風に揺れ、その間から見える青い空を見たとき、心が晴れ晴れと嬉しくなっての「トリ、キレイ」 という精一杯の表現だったのでしょう。言葉というものが意味を持たない。次第に在るものと無いもの に拘りがなくなり、固定された言葉のもつ意味ではなく、見えない気持ちを穏やかな眼差しや笑顔で表 象することが、年を重ねていく事で可能になっていくのかと思えます。「高齢化」とか「認知症」といっ た言葉は負のイメージが強いのですが、年齢を重ねていくからこそ今まで溜め込んだ社会的な縛りを手 放し、自然の中の一員として、見たものに懐かしい気持ちを重ね、受け入れていけるのかと・・とはい えまだそこまで達せてない私は目の前の現象にうろたえ、戸惑い、言葉を求めたりするのですが。




横山眞佐子













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