2017.6.

「コドモ時代」

 古くからある棚を片づけていたら、奥の方から一冊の本が出てきた。手に取った途端に思い出した。 大切にしていた私の図鑑。「食用植物」保育社から出されたポケット図鑑。10×15 センチの本当にポケッ トに入る大きさ、薄さ。発行 昭和 28 年、定価 150 円。
 そして、本の最後にハンコが押してある。「尾崎敦子」と。そう、この本は尾崎さんというおねえさん からのプレゼントだった。私が小学校に上がった頃、我が家には彼女が下宿していた。遠くから下関の 梅光学院の高校に通うために。どんな事情だったのかは、こどもの私にはわからなかったが、素晴らし く美しくて、賢くて、私は彼女を尊敬し、家にいるときは付きまとっていた気がする。彼女の本箱には 「玉川百科辞典」というものが並んでいたし、机の上には沢山の本やノートがあって辞典の引き方や索 引の見方を教えてもらった。憧れる!夏休み、彼女は部屋にいくつもの丸いガラスの器を並べていた。 中にはボワボワした白いのや緑のや黒いものが。何?「これはカビよ。シャーレの中で培養しているの。 実験中。明日学校に行って顕微鏡で見るけど行く?」培養もシャーレも実験も黴も顕微鏡もみんな初め ての言葉で小学生の私は興奮して、勿論実験室とやらについて行った。多分私の科学への興味の始まり だったかもしれない。そんな彼女が学校を卒業して大学に進むために別れるときに「この図鑑、眞佐子 ちゃんにあげる。食べられる植物は売ってるものだけじゃなくて、野原にもいっぱいあるのよ。調べて みたらおもしろいよ」ってくれた。多分私はポケットに入れ、野原に持って行き縁が擦り切れるほど何 度もページを眺めたに違いない。
 今も植物好き。雑草という言葉に反応し、草取りをしていても、思わずこれは抜こうか、残そうかと 躊躇し、水が切れている鉢植えをみると「水くださ?い」の声が聞こえるような気がする。花壇に勝手 に生えたハコベやミズナやオオバコをサラダに入れて家人から「何?この変な味」と言われたりする。
 それもすべて、女医さんになった尾崎さんと一冊の小さな図鑑の存在があったからではないか。こど も時代に誰に出会うか、なにを手渡されるか。大人になった私の出来ることを考える。




横山眞佐子













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