2016.06.

「笑顔」

 92 歳の母が いつも使う言葉。

「ほんとか?」「覚えてない」「ありがとうございました」。老人力のついてきた母の言葉にはいつも笑 顔が付いてくる。

 無駄と知りつつ何回も「お母さん、暑いからセーター2枚はやめようよ」という私にニコニコ笑いな がら「ほんとか?」と問い返す。その言葉に疑いがあるわけではなく、まるではじめて知ったことに子 どもが「え?、それ本当!すご?い」とビックリした好奇心を素直に表現するのと同じようなニュアン ス。負けるんです、この笑顔に。

 さっき脱がした2枚のセーターをちょっと目を離した隙にまた着てる。「さっき暑いから脱いだのに、 また着ちゃあダメじゃないの?」というと、「え、そう?覚えてない」とまたニコニコされる。幸せなこ とかもしれない。今起きた良いことも悪いこともすぐ忘れて、真っさらな気持ちになる。私たちはいろ んなことを引きずりながら、グズグズイジイジと毎日を送り心配事を抱え込み、あれもしなくちゃこれ もやっておかなきゃとチリジリの心を抱えている。全く!何回言ったら分かるんだよ!イライラする! と思いつつ負けるんです、この笑顔に。

 脱いでもらったセーターを見えないところに片づけてると「ありがとうございました」といわれる。 何かするたびに「ありがとう」。昔はこんなに娘にありがとうなんて言ってなかったよね。で、また笑顔 を向けられる。負けるんです。このニコニコ顏に。

 このところ選書会で 学校に伺うことが続いている。今日6年生のブックトークが終わり、ホッとして いると男の子がニコニコしながらやってきて「聞いた本が全部読みたくなった。ありがとうございまし た」と丁寧に頭を下げられた。負けます。笑顔に。もっともっと面白い本を探します。

 カフェでお茶を飲んでいると隣の会話に思わずニンマリ。「私さ、ひまでしょうがない時は、船に乗っ て門司港の占いに行くんよ」「なに占うんよ?」「え、将来幸せになるかどうかよ」「将来って、あんた私 たち幾つと思ってるのよ」楽しそうに笑うどう見ても80代の4人の乙女。

 笑いは自分では意識しなくても他者の気持ちを軽くする。

 このところテレビも新聞も我々も、一人の政治家を追い詰めている。どちらにも軽やかな笑いはない だろう。「ほんとか?覚えていない」は言ってはいけないが、双方とも「ありがとう」は言えないのだろ うか?




横山眞佐子











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