2015.07.

「ナリモノ」

先日古い住宅街を歩いていると、空き家になった家の塀からビワの実が熟して地面にいっぱい落ちていました。
低い塀から出た枝にも食べ頃の実がいっぱい。
「ああ、もったいない!」と戦後すぐ生まれの私は思わず一個、ありがたくいただいてその場で食べてみました。
小さなオレンジ色のビワから甘い果汁が溢れ、野性味溢れる美味しさ。
まあ、厳しく言えばよそ様の生り物をドロボーして!ということになるのでしょうが、とりあえず何年も空き家ということで。
せっかくだからもう一つと思い見上げていると顔見知りの小学生が三人。

「なにしてるん?」
「ビワが美味しいから食べてるの。ほら、これ。」
「え〜!これがビワ〜。食べられるん?」

 この道は通学路。
これだけ熟したビワの実が、しかも手の届くところにあっても誰も見向きもしないのね。
他所のものをとってはいけません!と世間のルールを身につけているから?
それよりも関心がないのではないか?
ビワも柿もイチジクも果物屋やスーパーで売っているものしか知らない。
食べ物は買うもの。
コンビニやスーパーでパック入りを。
そんな風に育っている。
通学路に少しずつ色づいて美味しそうになってくるビワの木が、あることにも気づいていない。
食べることへの好奇心も少なくなっている。
「あれは、ビワじゃないかなぁ?、どんな味かな?食べてみたいなぁ?」
そんな事は思ってもいないのかもしれない。
「食べてみる?甘くて美味しいよ。」
甘い汁を垂らしながら食べた子どもたちは「オイシイ〜!」
「種は空き地に吹き出すこと!いつか新しいビワの木が生えるかも!」と教えておいた。
自然の甘みに飢えてない子どもたちは一個食べて満足して帰っていった。

 子どもの頃、祖父の家の庭には大きなユスラウメの木があって5月頃には赤い身をつけて私たちはそれを食べるのを楽しみにしていたのに、ある日その木が切り倒されていてびっくり、ガッカリした。
それは、玄関から入った庭の中、でも子どもたちの通学路からはよく見える。
祖父の言い分は「子どもがこれをとると泥棒になるから、そんな子にしないために切った」。
私は「沢山あるんだから、とっていいよって言えばいいのに。」と内心怒っていた。

 今では、目の前にあってもだーれもとらないだろうなあ。それも寂しい。




横山眞佐子











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