2014.05.

「バトン」

 我が家は89歳の母と二人暮らし。
自分ではもう84歳なのよ!と数年前から言っているが。
その母は年々小さくなって行くようだ。
今日も母の上がった後のお風呂に入った。
ゆぶねに入ると大量のお湯が風呂桶から越してでていった。
アルキメデスの原理で言うと、越した量がその人の体積。
とすると、私の体積が母よりこんなにも多いのだと気づくと同時にこんなに小さくなってしまった母に驚いた。
「まさこも大きくなったね」と母に言われ、アルキメデスの原理という難しい言葉を教わったのは小さな頃。
母の入っていた湯船に私が入った時、越して行くお湯を見ながらだった。
いつのまにか立場は逆転していた。
世話されていたものが、いつのまにか世話する側になっている。
「大丈夫かね?」と聞かれていた娘が、母に「大丈夫?」と聞く回数が増えている。
こんな風にして人は自らの存在で、子どもに本当の独り立ちをそくしているのだろうか。
バトンを渡されてもまだ困る! と思っているのに。

 近頃、年長者の存在の重さが気になる。
先日梅光学院大学の元の学院長、漱石、賢治などの研究家としても知られている佐藤泰正先生のお話を聞く機会があった。
「じぶんももう歳になり、足も不自由になった。
 しかし、私は本を読んだり、話たりすることはまだ出来る。
 本が好きで読む。
 そのことをみなさんに話す事が出来るなら、それが今の自分のするべきことだと思う」
と冒頭に言われた。
長く生きていれば病気もする。
体力も落ちる。
身体もうまく動かない。
でも、それまで生きて来た時間は一人一人濃密にその人の中にある。
それを、惜しみなく後に来る人に手渡そうとする力強さに我が身を振り返った。
同じ年齢になった時そんな力が私の中にあるだろうか?

 休むことなく熱心に漱石の「こころ」について話される佐藤先生は先生自身もいまだ「生きる」ということ「こころ」ということについて自身問い続けておられるということなんだろう。と思った。

 テレビでの集団的自衛権について、国会での審議を、耳の遠くなった母がテレビの前で大音量で聞いていて、
「こんなことしていたら戦争になるよ。
 この人たちはその怖さをしらないのかね…」
とつぶやいていた。
人生の表舞台から去って行こうとしている年代の人たちからこそ、私たちは聞いておかなくてはならないこと、受け取っておかなくてはいけない大切な事があるのではないかと思う。



横山眞佐子











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