2014.04.

「本屋」

 博多に行く用事があって、久しぶりに「都会!」とキョロキョロしたもので疲れてしまった。
そんな時は本屋。
日頃はなかなか行く機会のない大型有名書店に行くと、もう目と手があれもこれもと、見たい読みたい!になってしまうけど、ヤッパリ気になるのは児童書のコーナー。
背の高い本箱にギッシリ詰まっている本、本。
「このシリーズは、いいよね」
「へ?こんなのがある」
「これはヤッパリ平置きで積み上げるんだね、でも、こどもの広場の方がいい本ばかりだね」
などと否定肯定含めて楽しんでいたら、小学3年生くらいの女の子が本箱の前で本を読みふけっている。
何読んでるのかな?
ピンクの表紙。
近寄って見ると『かわいい女の子メイベルのぼうけん』。
これは面白くって、魅力的でブックトークでも、大人気の本だわ。
ジックリユックリ大切そうにページをめくっている。
いい本に出会ったんだなあ、とこっそりそばにいたら、急にお母さんらしい人がやって来た。
「なに読んでるの? なんだ、まだそこまで? 遅いね」と言った途端「帰るよ」
女の子はお母さんを見て「これ読みたい。すごく面白いよ」。
本を見せるとおかあさんは素早く本をひっくり返して
「えー、1500円もするのよ。自分で買えば。
 自分のお金で買いたいほどなら買えば。
 立て替えておいてあげるから、帰ってあんたのお金から返して。
 さあ、買うの、買わないの。
 お金出して買いたいんじゃないなら、無駄!」
私はドキドキした。
こんなに夢中で読んでいたこの子の豊かな気持ちはどこかに行ってしまった。
女の子は小さな声で「お母さん、買ってくれないの?」
本を握り締めながら言ったけど、お母さん聞く耳なし。
そっと本箱に本を戻した女の子に「ほーら、自分のお金のほうが大事でしょう」と追い打ちをかけながら、サッサと行ってしまった。

 本が売れない。本は買って読むものではなくなったのか。
本を読むということは、本の存在を愛おしみながら、重さや紙の匂いや、表紙の絵や奥ずけやそんなものも楽しんで自分の傍らに置くものだと思うのだけど。

 私の子どものころの贅沢は行きつけの本屋さんで父が「ツケで一ヶ月一冊は本を買っていい」と言われていたことだ。
本棚の前で行きつ戻りつしながら、ちょっとカッコつけて見栄張って選んだり、悩みまくった。
それは至福の時。
自分の本棚に一冊ずつ増えていった「私の本」はきっと今の私の一部。
あの女の子が忘れられない。

かわいい(ゴキブリの)おんなの子
メイベルのぼうけん

ケイティ・スペック(作)
おびかゆうこ(訳)
大野 八生 (絵)

福音館書店
¥1500+税



横山眞佐子











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