2013.09.

「責任と選び」

 「この本読んでくれる子がきたらいいんだけどね」と言いながら、数十冊の本を大切そうに抱えて友人二人帰って行きました。
二人は20年以上続けている公民館での文庫のおばちゃんです。
寄付があったから、思わぬお金がはいったから、こどもに読んで欲しい本が出たから、そんなことを言いながらいつも嬉しそうに本を選び買って行ってくれる。

 みんな文庫の本箱に並べて借りにきてくれる子どもをまっているのです。

 「でも、近頃は土曜日はみんなお稽古、塾で一人か二人よ、来てくれるのは。」
「公民館の別の部屋でやっている勉強の教室には来てるんだけどね、寄らないのよ」。
1950年代、日本全国に家庭文庫や公民館文庫ができたころは、毎週待ち兼ねたようにたくさんの子どもたちが本を借りにきて、文庫のおばちゃんやお姉ちゃんに本を読んでもらって、ゆっくり遊んで見守られて過ごしていた。
いつの間にか少しずつ子どもの足が遠のき、手に握っているのは本ではなくてゲーム機になってしまいました。
「図書館がポストの数ほどあれば、こんなことしなくてもいいんだけど」と言いながら、おばちゃんたちは嬉しそうにあの子やこの子のことを考えながら自腹を切って本を買い揃えて、読み方を勉強したものです。

 そして、今図書館が随分増えたようにも見えます。
都道府県や市まではほぼ100%、でも町や村となるとまだまだ0のところも沢山あります。

 先日、朝日新聞に「図書館の未来」という記事が載りました。
イタリア各地の図書館に関わっている図書館長のアントネッラ・アンニョリさんは、書店と図書館は本を読んでもらうという共通の目的をもって共働を進めるべきだが、重要なのは図書館がその使命を認識して主体的であること、誰が本を選び、責任を持つかということだと発言。

 近頃話題になっている佐賀県武雄市の図書館を運営しているTSUTAYAのことを含めての発言だと思いますが、『選ぶ』『責任を持つ』ということに初心に返る思いがしました。



横山眞佐子











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