2013.07.

「木」

 朝出かけて、帰って見たら庭がからんと明るくなっていました。
今日は植木屋さんが庭木の剪定にきてくれたんだった。
昨日までは夏の森のようにモサモサ繁っていた、ドングリもサルスベリもツツジも竹もスッキリ刈られて風が通って涼しい感じ。
これで秋を迎えるころには再びいい感じに新しい枝葉が伸びるのです。
我が家の庭を整えてくれる庭師さんは、一本一本に合った刈り込み方をしてくれます。
少し弱っているツツジは整えるだけ、大きくなりすぎて枝葉が重なり過ぎの山茶花はズバリと小さくされ、何十年と少しずつ大きくなっている松はほとんど一日かけて丁寧に松葉がむしりとられて、みんな大切にしてもらったのがわかります。

 その数日前、一本の桜の木が死にました。
毎日通る近くの家の庭の二本の桜はソメイヨシノとは違い淡い白に近いピンクの大きな花、花と同じ頃にはもう薄緑の葉も美しくこの花が満開になると何かいい匂いもします。
一抱えもある桜は木塀からその花を天に伸ばし、一日二回私を幸せにしてくれていました。
ところがある日古い家が取り壊されていて、桜も一本は切られ、残りも乱暴に枝打ちされていたのです。
それが数年前のことでした。
でも、次の年からまた健気に花を咲かせ切られたもう一本の分まで大きな美しい花をつけ始めました。
もしこの空き地に何かが建つことなってもこの桜は残して欲しい、そう思って名前を調べました。
「オオシマザクラ」。
ソメイヨシノのお母さん。
名前がわかってからは、毎日、オオシマさん早く大きく回復しなよ!と眺めながら通過。

 それなのに、朝、ガランとした空き地を見てビックリ。
小さなブルドーザーが空き地にポツンといて、掘り返された地面には大きな穴があき、庭石らしいものが幾つかあるだけ。
桜の枝も幹も根っ子もかげも形もありません。
大きな穴が私の中にも空きました。
来年の春はもうここを見上げても空だけ。

 友人が田舎の実家を改築しました。
築100年以上の古民家。
長い無人の間にシロアリやら何やらで下の方はそうとうなダメージだったようですが、見たこともないような大きな梁は囲炉裏の煙に燻されて全くの無傷。
使える木材は全て使ったと友人が案内してくれた縁側は松ヤニが出ている。
何と納屋の柱を削って中心部を使ったとのこと。
「切られて何十年もたってなお松ヤニを涙のように出す木は生きていたのだなあ」と友は昔の納屋で遊んだ子供時代でも思い出したように言いました。

 身近にあるのに、あまりにも静かな木。
私たちの暮らしの豊かな場所は木たちに守られてあったと気づかされました。



横山眞佐子











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