2012.10.

「砦に」


 世間を震撼とさせる事件がおきる。
何年間にもわたり一人の女性の支配により、何人もの人が殺された。
私たちは、「なぜ、逃げないの?」とか、「そうなる前に誰かに助けを求めればよかったのに」と思う。
しかし、そうはできなかった。
次々に明かされていく事実に何処かの時点でこれを食い止めることができたのではないかとも思う。
しかし、20数年前のオウム心理教の事件でもそうだが当事者にはそんなゆとりのある時間は与えられていないし、藁にもすがる思いで信じた人から受ける言葉や仕打ちも自分のため、家族のためと思い込まされているうちに、そこから抜けることの恐怖もまた植え付けられる。
一人ぼっちになることの恐ろしさから、強いものの支配をはね返せず、言いなりになる。

 もう一つの、現代の大きな問題、「いじめ」もまた同じ構造ではないのか。
強いものの支配。一人になることの不安。どこにも持って行き場のない恐怖。
真っ暗などん底で子どもが死を選ぶ。
なにができるか? 大人の世界ですらこうなんだから、子どもの世界に手助けできるほどの大人がいるのだろうか。

 何処かで、強いもの⇒支配⇒恐怖⇒新たな支配、の構造を断ち切らなければならない。
これは嫌だと思った時、支配から逃れる方法は一つ、子ども助けを、それも絶対的に信頼のおける助けを求めること。
大人は子どもからSOSが発せられたら絶対に守る決意をすること。
簡単ではないが、子どもの周りには沢山の大人がいるはずだ。
大好きな両親がいる。
あるいはお祖父ちゃんお祖母ちゃんがいる。
幼い頃にここに砦があると、伝えておかなくてはならない。
あなたを大切に思っている私がいると示しておかなくてはならない。
恐怖にがんじがらめになる前に逃げ込める場所がここにあると、小さなうちから伝えてほしい。
こまったとき、悲しいとき、振り返ればいつもあの人がいてくれる。
親が子どもにできることは絶対の守り手になること。

 ミステリー好きの私の読む物語を超える悲惨な現実。
でも、どんな人にも未来に何かが待っていると信じていた子どもの時があった。
それが、全て失われたとしても、まだ生きて、もう一度半歩前に出てみようとおもうためには、その幸せだった子供の時の思い出や、大切な人の存在が必要。
それすら失くしたとしたら・・・

 でも、そんな人の側にも本当は人間がいることを思い出してほしい。



横山眞佐子











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