2012.09.

「大人」


 おとなになってしまうと、一日中ずーっとイイヒトでいることってなかなか出来ない。
テレビを見ては、誰かが誰かをからかっている様子をみて自分も笑っている。
「バツゲーム」と称して、負けた人を真っ白い粉の中に落っことしたりしているのを平気で見ている。
ああ、なんて品性下劣!
そう思っても、あれは、テレビの事。
本気じゃない、ゲームなんだしお金もらっているんだからしょうがない。と心の何処かが思っている。
真面目はダサイ!なんて言われて、一生懸命生きてる人をからかいの種にしている時代だ。
大人の作り出す世界はいつだって正しいとは限らない。

 先日こどもの広場にお母さんに抱っこされた生後8ヶ月の赤ちゃんがきた。
母乳育ちの固肥り。
キッチリ良いものが詰まった身体と心。
まん丸な目を見開いて、始めての場所と人を観察する。
「人見知りしはじめてるんですよ」とお母さんがすまなそうに言われるが、赤ちゃんは泣かない。
ただただ見つめる。
この人は知ってる人か?この場所は安全か?
その目に映る私が害なしと認めてもらえるかどうか大人はドキドキする。
安全と確信しているお母さんの腕にしっかり抱っこされた赤ちゃんにでも、未知のものへの不安があるのだ。
赤ちゃんには、冗談もおふざけも通じない。
真面目に様々な出来事に向き合い判断する。判断基準はいったい何かしら?
こちらも赤ちゃんを見つめる。
目の力対決。
思わず目に笑がこもってしまう。
そのままでまるごと人間そのものの赤ちゃんには、こちらも心を開いて全力で出会うしかないのだ。
その生き生きした命を見ると、素直な大人になって、下心のない笑顔や、言葉が出るのは当然だ。
赤ちゃんの作り出す世界はいつだって幸せだ。

 毎日見せられる、大人の世界の最も薄暗い部分。
国と国も、同じ党派に属する議員も、みんな自分が一番いいクジを引きたいと思いあれこれ画策する。
相手の揚げ足取りのためなら隠したり、欺いたりする。
こんな不安定な時代には、とかく強気な発言と行動がもてはやされるが、さて大人が作ろうとしているこれからの世界は、今産声を上げた赤ちゃんが幸せに暮らせるものだろうか?

「国破れて山河あり」にならないことを大人として心したい。



横山眞佐子











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