2015.02.



 日曜日の午後、近所の公園に旭と行きました。
公園に来たのには訳があります。

 先日、保育園に行く途中に近所の方にお会いしたので「おはようございます」と挨拶しました。
手を握っていた旭が私の後ろに隠れるので「ごあいさつは?」と促すと、やおら恥ずかしそうに挨拶します。
日によって態度が違うのは致し方ないのですが、基本、私はちゃんと挨拶させたいと思っています。
この「させたい」が曲者で、実は私は子どもの頃挨拶しない時がありました。
理由はわかりません。
が、「昇ちゃん、会っても挨拶せんけど何かあったんかね」と、近所の爺ちゃんから話を聞いた母から注意されたことが「いけないことだったんだ」として記憶しており、それがトラウマとなって自分の子どもにはちゃんと挨拶「させたい」と思っている節があります。
実家に寄った際もそんな調子で中々挨拶しない旭を叱るものですから見かねた母が、「昇はちょっと厳しい」と、やんわり小言を言われました。
ですから周りから指摘されるまで自分が厳しく叱っているとは思っていなかったのです。
それからは幾分気をつけるようにしてましたが、この日はまずかった。
保育園までの道中
「何で挨拶せんの」
「したし」
「小さいとわからん。ちゃんと挨拶して。わかった?」
「わかった!」
「ギャンギャン言わんの。わかりました、やろ?」
腹立ちまぎれに話す私に圧倒された旭はとうとう泣き出してしまいました。
ほっといて先を歩くのですがついてきません。
振り返ると、旭は「ほっともっと」の前で左手を口元にあて恨めしげにこっちをじっと見て立ち止まっていました。
「あっ!」と思っても後の祭り。
旭のところに戻り「パパが悪かったね」と謝りました。
ごめんねと手を握って抱きしめても「したし」と言って泣き止みません。
「恥ずかしかったん?」と聞くとしっかり頷きます。
泣き止むのを待つ間理由も聞かず「させたい」という自分の都合を押し付けちゃいけないと反省しました。
子どもの気持ちを「待つ」ことも大切なんですね。

 ときわ公園に差し掛かった時、旭が「今度パパにケーキを作ってあげるね」と言いました。
公園を訪れたこの日、旭は砂のカップケーキをたくさん作りました。
35個も!
待ってみるのもいいものです。
昇より

















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