2018.9.

「ひとりでもふたりでも」


 愛知県の豊橋に出かけた。朝市があると聞き、午前5時過ぎ、駅前から地図を頼りに羽田八 幡社に向かって歩いた。わいのわいのと活気づいた境内を予想していたが、たどり着けばどこ もがら?んとして市の立つ気配はない。通りがかった人に尋ねると、朝市は7時からだとの返 事。仕方なくしばらくぼおっとしていると、軽トラックがやってきて、すうっと止まった。本 日一番乗りのお店らしい。車内から老夫婦がゆっくり姿を現した。スローモーションのように、 荷台からビニールテントと支柱にするらしい竹竿の束を降ろし、そのまま無言で屋台の屋根づ くりにとりかかる。おじいさんがかっくりと曲がった腰でテントの端を持ちあげれば、おばあ さんが阿吽の呼吸で竹竿を差し込んでいく。ひとことも会話をすることなくふたりで淡々とや るべきことをこなしていく。荷台に積まれた本日の「商品」をそっとのぞくと、きれいに洗わ れた生姜がひと箱。黒々とした小粒のぶどうが二箱。それだけだった。「あの、この生姜、今 買ってもいいですか?」と聞くと、テントづくりの手を休めることなく「7時から」との返事。 なるほど。この夫婦は今日の朝市で7時きっかりからこの3箱を売るんだなぁ。自分たちの畑 で作った生姜とぶどうをテントの下に並べ、売れるだけ売って、またテントをたたんで家に帰 るんだなぁと、あたりまえのことを思って、胸が熱くなった。ふたりいるからこそできる「今 日の仕事」を目の当たりにした。

 7時までそこにじっとしているわけにもいかず、心の中で老夫婦に頭を下げ、大通りに戻っ てさらに歩みを進めた。すると、ひときわ明るいファミレスの窓際に、ずらり老紳士たちが並 んで食事をしている姿が見えた。みんなおひとり様のようだが、そのおひとり様同士がテーブ ルを挟んで向かい合い、なごやかに食事をしている。そのただならぬ風景にひき寄せられ、よ くよく店内を覗き込むと、みんなシャツ姿のこぎれいな格好をして、満足げにコーヒーをすす り、トーストにゆで卵を食べている。どういうこと?とスマホを取り出し「豊橋 朝食 老人 集う」と打って検索すると、出てきた出てきた! 豊橋には昔から喫茶店文化があって、この ファミレスに限らず、モーニングサービスとして、コーヒーは一杯分のお金でおかわり自由。 それにサラダやゆで卵、サンドイッチやトーストなどがついてくるのが普通だという。そうか、 あの窓際に座っていた老人たちは、この豊橋文化に支えられ、早くに目が覚めてしまうこと幸 い、一人暮らし幸い、食が細くなっていること幸いと、プラス思考で朝を迎えているのだなと 納得した。

 羽田八幡の朝市のように、老夫婦が二人寄り添って生きる今日をつつましく披露できる場所 があることの大切さ。そして、ひとりで生きていても同じようにひとりで生きる誰かと出会い ひとときを分かち合える場所があることの大切さ。その両方を備える街が増えてほしいなぁと、 おなかのすく散歩の途中で考えた。

 


村中李衣


















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