2018.5.

「その指の先に」


 ゴールデンウィーク中日、雨模様の岡山駅新幹線口は旅人たちでごったがえしていた。私は と言えば、大学での仕事を終え、山口に戻るため、荷物でぱんぱんのカバンを床におろして、 自動券売機とにらめっこ。すると、隣りの販売機の前に立った母親と手を繋いでいた3歳くら いのちいさな男の子が、母親の手をほどいて、細いちいさな指を私の方へきゅうーっとのばし てきた。

 (えっ、どうしたどうした?)

 ちいさな指はまよわず、カバンの中に無造作に突っ込まれた水色の折り畳み傘の方へ。そして傘の柄の先についていたうさこちゃんの丸い顔を、指先でつーっとなでた。 その指の動きをみたとたん、胸がじいんと熱くなって、訳もなく涙がこぼれそうになった。

 興味本位でそこにあったおもちゃをいじくるとか、本物のウサギと勘違いして人形をつつきま わすというような、そんな乱暴な指ではなかった。半分目玉の黒色がはげ手垢でうっすら灰色 がかったうさこちゃんをねぎらうような、使いまわされた今日という日の哀しみを分け合うよ うな、はかなくいつくしみ深い指だった。

 次々にせわしない上り下りのアナウンスが繰り返し流れる駅の構内で、この子がみせてくれ たのとおんなじ感じの指先にどこかで会ったことがある、どこでだったろうと、私は考えた。 考え続けた。そして、あ、と気づいた。

 弥勒菩薩だ。薄明かりの展示室で観た京都広隆寺の弥勒菩薩だ。 弥勒菩薩の頬すれすれに充てられたあの慈悲の指先に、男の子のそれは限りなく近かった。 そして、つくづく思った。子どもの感情の先端は、もしかしたら指先に繋がっているのかもしれない。自分と他者の存在が明確に分け切れておらず世界まるごとと全身で対話する幼い魂 の先っぽに感情が集まっていくのだ。

 そういえば、映画『ET』で、少年が異世界の住人と唯一交信できたのも、その指先に宿る力 によってだった。

 生まれて間もない赤ん坊は、動く自らの指を飽かずながめ、その指と指のあいだに、空中の うっすらした綿くずを集める。「まあなんて可愛い」と大人がうっとりながめている間に、彼 らはこの先永く抱いていく心をの通り道を、指先で編んでいるのかもしれない。

 ここまで書いて、岩波少年文庫の『みどりのゆび』では、主人公のチト少年が不思議なみど りのゆびを持っていたことを思い出した。彼が指でどこかに触れると、そこに落ちていた種は 芽吹き花が咲いたっけ。作品の中では、それがチト少年にだけ授けられた不思議な力だとされ ていたけれど、ほんとうはだれしもみどりのゆびをもって生まれているんじゃないのかな。

 そんなこんなのとりとめのない連想を重ねて山口についたら、ひどかった雨はやみ、濃紺の 空にすうっと風が流れた。傘の柄のうさこちゃんが、カバンからちょこんと顔をのぞかせ、そ の空を眺めている。明日は晴れるかな。

 


村中李衣


















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