2018.1.

「宇宙の楽人」


母が旅立ってから、父の落胆は大きく、部屋にこもることも多くなった。日増しに足腰が弱 っていくのを見かねて、山口にいるときは極力外へ連れ出すようにしている。

 これまで母を介してかろうじて繋がっていたようなところがあり、ふたり並んで歩くなどと いうことは一度もなかった。だから、何をやるにせよ互いにぎこちない。 「べつにしてもらわんでもわしゃあひとりでできる」と父は強がり、「べつにいやならいいよ」 と娘も素っ気ない。それでも、結局はふたりで散歩するしかない。

  江汐公園を歩けば、ベンチが汚いと文句を言い、墓苑を歩けばカラスの鳴き声が気に食わな い。仕方なく焼野海岸沿いのきららビーチを歩くことに。計画では、海岸沿いを歩き汗をかい たところで交流館のお風呂に入り少し早めの夕食をとる。ちょうど夕日の沈む時間に合わせ て・・・。ところがいざビーチにつくと、「こんな風の強い中を歩けるもんか」と不機嫌極ま りない。仕方なく、交流館を風よけに食堂の揚げ物のにおいがプンプンする裏道をよたよたと 歩く。「じゃあお風呂に」と誘えば「こねえにごろごろ芋の子を洗うようなところではだかに なってどうするか」と怒り出す。「そうやねえ、じいちゃんほどの人はやっぱり貸し切りのお 風呂じゃないといけんじゃったねえ」と風呂からもあっさり退却。こうなると、夕日の沈む時 間までやることがない。とりあえず食堂前の椅子に二人並んで座ってみるが、話題も尽きて気 詰まりなことこの上なし。ちらっちらっと、壁の時計を見上げる私。

  ただ今の時刻 16 時半。日の入り予定時刻17時12分。 ただ今の時刻16時40分。まだだ。 ただ今の時刻16時45分。あぁもう耐えられない。

  「じいちゃん、もう食堂に入ろうやぁ。ゆうっくり食事をすればそのうち夕日も沈む時刻にな るよ」

  父と同じように堪え難きを耐えていたようで、うなずいてゆっくり立ち上がった。 さて、食堂で夕日が一番よく見える場所を陣取ると、父は開口一番「まぶしい!」 せっかくの窓際なのに、しぶしぶブラインドを下す。父の横顔が光と影の縞々模様に彩られる。縞々の父は「わしゃあ、硬い野菜は歯にあわんからな」とのたまう。「かしこまりました」 と私は厨房に掛け合い、注文したちゃんぽんの具を細かく切ってもらうよう頼みこむ。

  そうこうしているうちに、海の様相が変わってきた。太陽のうす淡い光を受けていた海面が、 艶を加えて光の帯を長く横に広げ始めた。食堂はいつのまにか、沈む夕日を味わおうとするお 客さんでいっぱいになっている。

  私はうやうやしくブラインドを引き上げる。 「ほらじいちゃん、沈むよ。いよいよ沈むよ。夕日沈むのきれいだねえ?」

  周りにいるだれもが同じ心持で夕日の最後の光が海の底に飲み込まれていく瞬間を見つめ ている。その時だ。父が大きな声で言い放った。「太陽は本当には沈んじゃあおらん。錯覚だ」 ごもっともです。「情にも他人にも流されぬさすがのひとこと!」と唸るしかなかった。老い ても魂の平原に草は枯れず生えているのだなぁ。



村中李衣















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