2016.09.

「ボタンの箱」


 古着屋で買った安物のシャツを夫に「似合う似合う」とおだてて着せていた。めずらしく褒 められ夫もその気になって何度も着たもんだから、知らぬ間にぽろぽろっとふたつ、ボタンが 取れてしまった。どこへ行ったやら、わからない。やっぱ安物だったからねとは言えず、しき りに残念がって「同じような感じのボタンをつけてくれ」という夫から、しぶしぶシャツを受 け取った。

 取れてしまったのは、左ポケットと前立てのちょうど真ん中あたりの二種類のボタン。サイ ズも違えば色も違う。う?ん、右のポケットについているボタンをにらむと、小さいくせにな かなか渋い濃淡のある茶色をしている。前立てのボタンはこれまた、ポケットのボタンよりは 少し飴色がかったふっくりしたボタン。ワイシャツのボタンなら、似たようなのがいっぱいあ るけど、こういうのはどうしたもんだろう・・・。わざわざ買いに行くのは、何のために安い シャツを買ったんだってことになるし・・・

 そうだ、母のボタン箱があったと、思い出した。私が幼いころから、円筒型のうす緑のキャ ンディーボックスに、母は、使わなくなった衣類のボタンをこまめに取って入れていた。 たしかこのあたりから出し入れしていたような・・・と、父と母の寝室の袋戸棚を開けてみる と、ちゃんとそこにあった。

 ふたを開けると、手のひらでひと掬いふた掬いしても、まだ指のあいだからじゃらじゃらと こぼれるボタンたち。

 しばらく、そのちいさくて色とりどりで、いろんな光を集めたボタンたちに見とれていた。 これほどの数の、それもひとつひとつ表情の違うボタン。いったい、母は自分の一生の間にい くつのボタンの繕いをするつもりだったのだろうか。夫や子どものボタンが、100も200 も、いやもっとたくさん外れるはずだとでも思っていたのだろうか。

 でも、ボタンはこんなに、あふれるほどに、ここにある。

 もはや、ボタンたちは、使われるためでなく、使われることを母と夢見た時間の証として、 静かにここにあるようだ。

 中原中也は、月夜の浜辺で拾ったボタンを、「なぜだかそれを捨てるに忍びず」袂に入れた ようだが、母は浜辺を散策することもなく、わが家のちいさな居間で日々のやりくりのために と、ボタンをためた。役にたつことはほとんどなかったが、そのつましさは、どんな貝殻より も美しい。

 中古のシャツにぴったりのボタンは結局見つからなかった。

 でもまあ、この中でなら私の出番でしょうというボタンふたつの声に従って、私はいそいそ と針に糸を通した。  


村中李衣















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