2015.11.

「歌ごえ喫茶に」


 いつもランチを食べに行く奉還町商店街の中のちいさなお店。
ワンコインで心のこもったおいしい食事が出る。
先日、山口からぶらさげてきた荷物があまりに重く、大学までとても持ち運べないと、このお店に夕方まで荷物を預かってもらうことにした。
中に入っているのは我が家の農園でできた大根とじゃがいもと、ほうれん草と、不具合をチェックしてもらった防犯ベルと、梅光のゼミ生が作ってくださった山栗入りのごはん、それに絵本が3冊。
冬用のセーターとシャツ、岩茶を入れた水筒もあった。

 さて、夕方大学の仕事を終え、荷物を取りにお店へ行くと、なんだかガラス戸越しに見える風景がいつもと違う。 そろり戸を開けると、むおっと音楽の熱気が正面から押し寄せてきた。

 ♪だんだんばたけと〜さよならするのよ〜 おさないおとうと〜ゆくなとないた〜

 え? なにごとなにごと? と辺りを見回すと、壁際に並べられたイスに腰掛け、楽譜を高々と掲げ、年配のご婦人たちが、堂々と囀っている。
ピアノの生伴奏。
よくみれば、指揮をする男性もヒバリたちに混じり、よく響く声を聞かせている。
店のオーナーさんが、ニコニコ笑って手招きされるので、そのまま私も壁際のヒバリに。

 一曲うたい終わると、全員が大きな拍手。だれがだれを賞賛するでもなく、それぞれに「あぁ〜しあわせ」とでもいうような、満足げな拍手。

「ほやけど、今は嫁入りも、こねえなことはねえわなぁ。」
「ほうじゃ、ほうじゃ。高速船か、瀬戸大橋を車でわたりゃぁすぐじゃもんなぁ」

 遠慮気兼ねのない岡山弁が、歌っている最中の清らかな空間を、一気に<世間話ひろば>に塗り替える。
ところが、次のピアノ伴奏が流れ始めると、すぐさま高らかに囀るヒバリたちに舞い戻る。
リクエスト曲は「高校三年生」だったり「学生時代」だったり「牧場の朝」だったり「青い山脈」だったり・・・歌謡曲も唱歌もなんでもありだ。

 一番心に残ったのはウィリアム・ヘイス作曲 犬堂球渓作詞の「故郷の廃家」。

 何年ぶりかにふるさとを訪れてみると、我が家は荒れ果て住む人も絶えてないという何ともわびしい歌である。
しかし希望を見出すことの難しいこの歌詞も、ヘイスのおだやかで美しい旋律にあわせて老ヒバリたちが丁寧に声を乗せていくと、決して悲惨な故郷のありさまは浮かんでこない。
精一杯その地に生き、立ち去りし後も忘れたことのなかった故郷への愛が、染み渡るように響くだけ。

 歌い終わった後、指揮者の男性が「昨今は日本でもあちこちでごみ屋敷の問題が発生しておりますが」と口をはさむと、「この歌の廃家にはゴミなんかないがぁ」とすかさず抗議の声。
そのとおりだ。
歌詞が示す光景も、作曲者のメロディーや歌う人の魂によって、ずいぶん異なる色やにおいを連れてくる。

 カラオケとは違う歌の愛し方、そして自分の来し方へのまなざしがこのうたごえ喫茶にはあるんだなぁ〜と心動かされたできごとでした。



村中李衣















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