2013.05.

「新型スポーツマンシップ?!」


 毎年恒例の大学スポーツデー。
学生は原則全員参加で、バレー、ドッジボール、バスケット、フットサルの4種目が、市民体育館とキャンパス内の体育館に分かれて行われる。
学年別、学部・学科別にチームが編成される。
体育会系の部やサークルに所属している学生がメンバーにいるチームが強いのはあたりまえだが、学部によっても強さに歴然とした差がある。
毎年、決勝戦にはすべての種目で子ども学部チームが残り、子ども学部内の学年対抗戦になることも多い。
応援パフォーマンスも着ぐるみ登場、ダンスに鳴りもの入りと、とにかく派手。
エネルギーの発散のさせ方がうまいなぁとつくづく感心する。

 一方、日本文学科の学生たちは、とにかく静かだ。
黙ってプレーし、黙って応援する。
運動嫌い、本が好き。
できれば一日中でも部屋にこもって本を読んでいたいというような学生たちだから、チームでわぁわぁ盛り上がるということは、まずない。
「だから、弱い」と口に出さずともみんなが思っていたようなところがある。
ところが、今年はちょっと様子が違った。
たとえば女子のバレーボール。
日文の1年生女子が決勝戦まで残った。
相手チームは、この日のためにユニフォームまで作っているノリノリの子ども学部4年生。
得点が入るごとに観客席から嵐のような歓声が巻き起こる。
体育館中がごごごぉっと揺れるくらいにだ。
ところがその盛り上がる姿を遠いできごとのようにながめる日文チーム。
動じない。
それは「相手」というよりも「景色」を見ている感じだった。
最後までできることを各自が淡々とやる。
それで、サーブやスパイクが決まれば点数が入る。
相手のサーブやスパイクをレシーブできなければ得点を失う。
ただそれだけのこと。
で、気がつけば勝っていた。優勝だ。
チームのみんなが最初に見せた笑顔は「あ、終わったね」だった。

 男子のバスケットの試合では、日文1年生チームが1回戦で優勝候補チームと当った。
さわやかでカッコいいプレーが続出する相手チームとは対照的に、ひたすらボールを追いかけコート内を走り続けていた。
シュートチャンスは数えるほどしかなかった。
もちろん、負けた。
けれど、数倍のシュートを繰り返した相手チームと思ったほど点数差がなかった。
強豪相手に臆することなく戦ったと言えるのだが、それは、「果敢に立ち向かった」というのとはちょっと違う感じだった。
試合が終わって「現役バスケ部の子がわんさかいるチーム相手によく戦ったね」と言ったら、みんなはぁはぁ言いながら「あぁ、そうだったんですか」とひとこと。
相手が強いとか弱いとか考える余裕もなく、ただ試合の間中バスケットというスポーツをひたすらにやっていた、ということらしい。
こういうのもありなんだ。

 「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦う事を〜」というフレーズは、日本でも決まり文句のように使われるが、もともとはイギリスの上流階級に求められるジェントルマンシップのオンとオフのような関係でステーツシップとスポーツマンシップの二極が存在した。
つまりスポーツマンシップとは、社会のリーダーたる素質の一部だったのである。
だとすれば、今回日文の学生たちが見せてくれたプレーの誠実さと精神性は為政者の資質などというものから完璧に放たれた、新しいタイプのスポーツマンシップだったのかも。

 学生たちを括る言葉や呪縛する言葉を問い直す機会をもらった一日でした。


村中李衣













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