2012.09.

「ゆうだちなんかこわくない」


 9月。大学がまだ夏休みなのをいいことに、あちこちで絵本の読みあいを楽しんだ。
まだまだ蒸し暑く息をするのもうっとおしいような日が続くから、ざ〜っと一雨来るようなストレートでぱさつきのない絵本がいいなと、あきびんごの『ゆうだち』をあちこちの小学校に持って出かけた。
カリブ海に浮かぶ島国トリニダード・トバコ共和国の昔話。
オオカミの家に雨宿りしたヤギが、自分の身に迫る危険を察知し、即興の歌の中で「オオカミ喰らいのヤギ」を演じることで、その危機を脱するというお話。
命がけで大ほらを吹きまくるというか歌いまくるヤギと、そのホラを真に受け、次第に弱腰になっていくオオカミとの力関係の変化がなんとも愉快。
愉快なだけでなく、生きるか死ぬかの大勝負を賭けてホラ歌をうたうヤギの、知らず興奮していくさま…弱くておとなしいと自他ともに認めるヤギの心の奥底に眠っていた狂喜のようなもの、そのエネルギーに圧倒される。

 さて、北海道の小さな小学校で読みあいをした時は、担任の先生がウクレレを三味線の音色で爪弾きオオカミの役を買って出てくださった。
♪ゆうだちが〜きたらぁ〜と歌いながら、平原に吹き渡る風の中、オオカミと対決する白ヤギの蹄にみなぎってくる力を実感した。
茨城県猿島郡にある小学校で読みあいをした時は、校長先生がティッシュペーパーの箱と蠅叩きで作った即席三味線をあまりに美しい姿勢で爪弾くものだから、その姿に見惚れ、オオカミの家を立ち去った後も、今頃オオカミはどうしてるんだろうか、もう一度くらいならオオカミの家を訪ねてみてもいいかも…などと絵本を閉じた後も余韻を味わうことができた。

 さて、『ゆうだち』でわかったことは、目の前でどんなパフォーマンスが繰り広げられ、それが嬉しくて笑い転げるようなことがあっても、聴いている子どもたちにとって一番大事なのはストーリーの骨格だということ。
そしてその骨格からはみでない必要十分な「ことば」なのだということ。
この読みあいのキーワードはヤギが歌う歌の中で少しずつ増えていく「きのう食べたオオカミの数」。
3匹5匹10匹100匹と、どんどん話が大きくなっていく。
止まらない。
この「ことば」のおかしさをどの子もどの子もしっかりがっちり受け止めていた。
なるほど、この作品のベースは「口で伝えられたお話」。
子どもたちの身体に染み透っていく言葉の力を目の当たりにした経験だった。

 ちなみに、猿島の小学校の校長先生は大学時代の同級生。
すがすがしい好青年のまま30年が過ぎあいかわらず実直で飾るところのない校長先生で、そのまま誠実な?オオカミに変身させてしまうところが、やっぱり読みあいの力なのかしらねぇ〜

                    




 ゆうだち


 あきびんご作
 偕成社 1050円


村中李衣













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