2011.04.

「朝までふきのとう」



 今は夜中の3時過ぎ。
寝る前にちょっとメールのチェックをとパソコンを開いたのが運のつき。
「りえ先生、すみませんが朝までに通信の原稿を…」と、ひろばスタッフからのメール発見。
そうか、朝までにかぁ。

ところで、なぜこんな遅い時間までもたもたしていたのかといえば、それはふきのとうのせい。
「せい」などといったら罰が当たる。
北海道で坊守さんをする友人がお寺の裏庭で採ってくれた段ボール一杯のふきのとうが、朝出がけに届いたのだ。
よし、帰宅してからふきのとう味噌を作るぞと決めて、水を張った盥四杯にふきのとうを分け入れ家をあとにした。

ところが今夜に限って友達と遅くまで下関で語り合い、帰宅は11時。
家のドアを開けるなり、北の国の浅い春の香りがツイーン。
しまった、忘れてた!
みんな寝静まった台所で、ふきのとうたちだけがぷかぷかと
「お待ち申し上げておりました」。

盥4杯分ぜーんぶ水気を取って、片っぱしから包丁で刻んでいく。
ことことことこと、深夜の台所でマナ板が歌う。
刻み終えるとフライパンで少しずつ炒め炒め黒くなりねっとりべっとりしてくるまでひたすらへらを動かし続ける。
気分はもうすっかり真夜中の台所魔女。
ふきのとうたちがどろんどろんになったら、別のフライパンに味噌とザラメを入れてまた、練る練る練る。
ぺったらぺったらと味噌がフライパンの上でのたうつまで練る。
それから、どろんどろんとぺったらぺったらを合体させてすり潰した胡桃と胡麻と鷹の爪を混ぜて、ようやく完成。
で、3時過ぎというわけ。

「時間は待ってくれない」ということばはよく聞くが、今夜は「ふきのとうは待ってくれない」だった。
水に漬け置く時間。
水気を切って刻む時間。
フライパンで炒める時間。
どれも連続した右にも左にも動かせない時間。


 長く生きてくると「ちょっと待っててね」と後回しにするコツを覚えてしまう。
人間づきあいの中ではたいていの場合「うんいいよ」と言ってもらえる。
言ってもらえるもんだから、それに甘えてしまうあいだに知らず抜け落ちてしまうもの…
相手のちょっとがっかりする気持ちとかさびしさとかを置いてきぼりにしていることに気づかずに。
でも、人間以外とのつきあいはそうはいかない。
タイミングをはずしたり手抜きをしたら、それはまっすぐ味や育ちに跳ね返ってくる。

 人間の勝手な都合を「科学の力」とか「利便性」という言葉にすり替え振りまわすとそのしっぺ返しが必ず来ることをまざまざとみせつけられている今年の春に、ふきのとうはなんの武装もせず、まっすぐわが家にやってきた。
たっぷりと箱いっぱいに。
大事に食したい。
もう数時間で朝が来る。 



村中李衣













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